大阪医科大学に受かりました!!早川先生をはじめアシストの方々、支えていただいてありがとうございました。
現役の頃は本当に全くといっていいほど勉強をしてませんでした。一日中遊び続けたつけが回り、マーク模試では900点満点で492点、記述模試では偏差値50.0のラインにのせるのが精一杯でした。なかでも物理の成績は本当に酷く、最後の記述模試は100点満点で4点(偏差値35.0)で、校内最下位でした(苦笑)。
その年のセンターは900点満点で596点でした。さすがに母親からものすごく言われ、その日から大阪医大の後期までの約60日間は、自分の理解できていない部分を必死に埋めたつもりですが、結局どこも受からず浪人が確定しました。
浪人が確定した次の日か、またその次の日ぐらいに、母親にアシストを紹介されて訪ねる事になりました。塾内の雰囲気がすごくよく、大手の予備校よりは自分に合っていると感じました。さらに相当考えたあげく、物理から生物に変えました。
浪人してからは英数理の基礎から教えてもらい、わかりやすい教材とわからない部分を丁寧に教えてくれる先生方のおかげで、次第に知識欲や興味といったものがわいてきました。さらに、できるだけ長く自習室の自分の机で勉強し、特に生物に重きを置きました。しかし自分の飽きやすく、あきらめの早い性格などが災いして、午後4〜5時に家に帰る事が度々あり、他の生徒達よりは勉強時間が比較的少なかったと思います。事実、早川先生にその事をつっこまれた事もありました。
結果一浪してもセンターの点数は悲惨なものでした。元々私大志望だったので国語と社会はまだいいとしても、得意の数学の失敗と、苦手な生物の絶望的な点数には唖然としました。数学に関しては絶対的な自信があったのですが、センターの後の兵庫医大、近大などでは、次々と失敗し、当然のごとく大阪医大も合格点からは遠くかけ離れた点数だったと思います。兵庫医大だけは一次に合格し、二次に補欠となり、補欠合格を待つ形になりましたが、結局自分には合格通知がこず、二浪が確定しました。
二浪してからは、妹も浪人したので戸田家の長男として絶対に二浪で合格しなければならない状況になりました。志を高く持ち、授業も基礎中心の講座から演習中心の講座に変えました。一浪時代もそうでしたが、その時よりもさらに意識の高い生徒達が集まり、次第に自分もその中になじんでいったように思います。塾内の数学や化学の確認テストでもしばしば上位にこれるようにはなりました。まあ、苦手な英語や生物などの確認テストをしていれば、悪い方の部類にはいたと思いますが(苦笑)。
テスト演習が始まった時期(9月頃)から、今まで伸び悩んでいるようにみえた生徒達にも、着実に実力がついていました。毎回トップが入れかわり、バトルが白熱していました。その中でも自分は完全に取り残された感はありましたが、毎回逃げずに欠席などは一切しませんでした。テストの結果が悪い時はまわりにあたりちらしたり、不愉快な思いをさせたかもしれないので、今更ながらあの時はどうもすみませんでした(泣)。
さらに数学の授業で大塩先生という偉大な先生に出会いました。その先生のおかげで、今までしてきた雑な解き方などを徐々に修正していきました。学業面でも支えて頂きましたが、精神面でも大きく支えていただいて、今では感謝の気持ちでいっぱいです。
12月に入ってから余裕があったわけではないですが、国公立に向けて国語と社会の勉強を始めました。センターがもしよければ、その勢いで国公立も受かると思ったので、国語と社会にもできるだけ時間を割きました。
でもあまり勉強で煮つまりすぎるのもよくないと思ったので、高校主催の同窓会や成人式にはそれとなく顔をだしました。友達には「この時期に何してんねん?」と思われたかもしれないですけど、個人的にはとてもリフレッシュできました。
結局二浪してもセンターの点数は悪かったですが、二浪で巻き返せる大学を選び、その大学に出願しました。私大入試ももう間もなくだったので、英数理の抜けている箇所を集中的に固めました。しかし結果的に私大の前期は全て失敗し、大阪医大前期の自己採点は数学と化学が8割、英語が6割と、ここまではまだよかったんですけど、生物が3〜4割くらいしかなかったので愕然としました。
いずれにせよ生物を完全に理解しないと、大学には落ち続けると思ったので、自分の家の近くにある代ゼミサテラインで生物のみ体験授業という形でお世話になりました。そのときになって初めて、生物の面白さや奥深さといったものがわかったように感じました。
生物ばかりやりすぎないように、英語、数学、化学のわからない部分も少しずつ埋めていきました。
結果的に国公立も落ちました。そして大阪医大の後期も落ちてると思っていました。後期では、「どうせ自分無理だろう」という、一種の開き直りに近い態度で受けました。出来は前期と同じくらいだったのでやっぱり無理だなと思いましたが、難しかったという噂もちょこちょこ聞きました。
落ちると思ってたからこそ、大阪医大の一次合格の知らせを聞いたときは相当びっくりしました。正直何がよかったのか自分でもわからないですけど(苦笑)。
母親には、「開き直りで受けたのと、わずか10日間だけやけど代ゼミサテラインに行ったのもよかったんちゃう?」と言われ、生物を最後の最後で詰めたことを実感しました。
結局繰り上げ合格候補になり、昨年みたいに結局こないかも、と思いましたが最終的に合格したので一安心しました。
最後になりましたが、第一志望に合格したときの喜びはかけがえのない財産だと思います。受験生の方々、最後まで希望を捨てないで下さい。
そして、僕のわがままを最後まで聞いてくれた早川先生、大塩先生、ゆみさん、お世話になったアシストの方々、2年間本当にありがとうございました!!
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